アルコール依存症からの回復

仲間とともに生きていきたい。だって、アルコール依存症だから。

一人暮らしをした当時の自分

一人暮らしについては、

ずっとやりたいやりたいと話をしていた。

社会人になってから、

ずっと一人暮らしの話はしていたけれど、

親の許可はおりなかった。

自分自身、家賃や光熱費などの負担も増えるし、

許可を振り切って、保証人なしの物件を選ぶ勇気も無かった。

親に反対されてるというと、不動産会社は、まずは親の説得からだと話をした。


今思うと、
何でも親の許可を取りたがったなー。
と思いますね。



一人暮らしを実現できたのは、

自分の中で29歳のときに、

このままこの家に居ると殺される。

という感覚に陥った時。

母親は、私の手を沼地の底から掴んで離さないし。


父親は、暴力はしなくなったものの、

ものを壊したり、暴言はかれたり、歩く音すら踵落としのような歩き方で、

存在するだけで苦しめられる。


お酒を飲んで精神を麻痺させないと、玄関を入ることが出来なくなっていた。


どんどんおかしくなって、

記憶があまりないんだけど、

酒を飲んで、

狂って泣き叫んでたら

一人暮らしの許可がおりて、

書類を書いてくれたような気がする。



母親には、

るんるんでしょ。

楽しみでしょ。

いーわね。


なんて言われたけど、

心の中は、

床をはっているような、

なんとか、生きるんだ、

生き延びるんだ、

この家から、

なんとか出るんだ。

って、

心が苦しくて立つのもやっとなのに、

一人で家電や最低限の家具を準備していた。

父親には、二度と帰ってくるな。

荷物は全部持っていけと言われて、

お酒を飲みながら、なんとか荷造りをした。




夏に一人暮らしを始めた。

なんとか、一人で蛍光灯つけたり、ガス台設置したり、

ガスの立ち会いとかもろもろやって、

るんるんもなにも、

生きることに必死で、

お酒でなんとか乗り越えた。


カーテンを買うことを後回しにしたら、

日差しが当たりすぎて部屋の中が、

灼熱状態で朝を迎えたのを覚えている。


一ヶ月もしないうちに、

いきづまった。

うっすら目を開けて天井を見上げながら、

ここで死んだら、迷惑かけるな。

と思いながら、

缶チューハイをたくさん飲んで床に転がってた。


タバコも一日2箱になってた。


今までは、外を徘徊しないとタバコ吸えなかったのが、

家の中でも吸えるから増えた。


そのときに初めてわかった。

あの人達と一緒にいるときは、

怒られたり辛いことばかりだった。

とにかく、逃げる。

とにかく、お酒を飲む。



だから、寂しさに気がついてなかった。


怒られるとか、馬鹿にされる、暴言吐かれる

などの恐怖がなくなったら、

今度は強烈に別の、

孤独という恐怖が襲ってきた。

母親との共依存も断ち切ろうとしていたから、

心が引き裂かれるような感覚にも陥って、

心は痛いし、

孤独が恐怖だし、

お酒は堂々と買って飲めるし、

どんどんお酒の量が増えた。

翌日まで残るのは当たり前になった。

職場でも、とっとと実家に帰れと怒られた。


夜眠れなくて、寝ないまま仕事に行くのも当たり前になった。

寝たいのに眠れなくなった。

自律神経もおかしくなった。


アルコール依存症なんて知らなかった頃だから仕方ないけど、

一人暮らしと同時に自助グループへ行くことを当時の自分に提案したい。

お酒を飲むと、

うつもひどくなるし、

不眠にもなる。

もうこんな思いはしたくない。

もう、幸せだよ。

良かったね。



私でもやっとここまでこれたよ。

よく頑張ったね。


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#アルコール依存症#共依存



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