アルコール依存症からの回復

仲間とともに生きていきたい。だって、アルコール依存症だから。

親に暴力をしだした話①

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きみ、追いかけて撮影するの手こずったよ( ・θ・)#アルコール依存症#共依存

ずーっと私は自分が嫌いでした。

血液型も、

声も、

顔も、

体型も、

性格も、

全部嫌いでした。

生まれ変わったら、O型になりたい。
骨髄移植すれば、かわれるのかな。

こんな私を雇ってしまった企業申し訳ない。

こんな私が幸せになれるはずがない。

こんな私が存在して申し訳ない。

こんな気持ちでした。


人と関わるのが苦手でした。

小学校のころはたくさんの人に嫌われました。

〇〇さんが嫌いと言っていたよ。

と言われることや、ダイレクトにあんた嫌いと言われることもありました。

言われる度に、本当はしっかり傷ついていたのですが、

それを隠して、

私も嫌いだ!

と言い返していました。

お友達はあまりいませんでした。

小学校6年生の頃、将来なりたい職業の発表では、未来に希望なんてなかったので、

適当に選んで適当に発表しました。

中学生の頃も沢山の人に嫌われました。

中学生の頃、なんだかやる気が起きなくて、

あー私幸せには絶対なれない。

とぼんやり思ったのを覚えています。

その頃から、私はしあわせにはなれない、。とずっと思っていました。その気持ちと同じく、

「私は母より幸せになってはいけない」

とも思っていました。

共依存のフレーズですよね。
今思うと。


お父さんは怖かった。
かかと落としのような歩き方でドスドスつねに歩くとうるさかった。

それだけで恐怖だった。

今日は機嫌がいいか悪いか怯えてた。

家に帰ってくると、必ずあたりちらされるので、すぐに部屋へ逃げた。

でもその部屋も、姉と相部屋で、入ればくるんじゃねー!と姉にも怒鳴られた。

でも、大声で怒鳴ったり、物を壊したり、殴ったり叩いたりお腹を蹴られたりするから父親のが怖かった。


母親もイライラさせると怒鳴って叩かれたけど父親ほどではなかったり、父親に

やめてよ!

といって守ってくれることもあるから母親に気に入られることが大事だった。

母親に気に入られることは、私の生きるすべだった。

つづく

ちょっと重くなってしまいますが、

こんな人も幸せになれたということで記事にしますね。

今は幸せですよ。

今日も読んでいただき、ありがとうございます♡♡


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